1.医学部志望からリクルートへ
— 学生時代、就職はどんな風に考えていましたか?
岩松:まず話は遡るんですけど、自分で言うのも何ですが、
高校時代は「結構勉強のできる学生」だったんです。
特に理数系が強くて、例えば、数学のテストを受けると、
ほとんどの問題が簡単に解ける。
偏差値90点代を取ったこともあるほどに(笑)。
当時、進学校の理系クラスで成績がいいと、
大学は「医学部に行く」というのが風潮だったので
「医学部にいこうかな」と考えて、
京都大学の医学部を目指していました。
— 高校時代は、医者を目指していたのですね。
岩松:ところが当時の共通一次試験、
今でいうセンター試験ですけど、緊張したんでしょうね。
大失敗して、これじゃあ医学部受けようがないという
点数を取ってしまいました。
浪人しようかとも考えたんですけど、
とりあえず京都大学の工学部を受験することにして、
合格したんです。
— おっ、いきなり進路変更ですね。
岩松:はい。でもいざ合格すると、
「医者を目指してきたのに」、「やっぱり医学部がいいな」って
考えなおしたんです。
それで両親に直談判して、
1年だけ浪人して医学部に再チャレンジしたいって話したら、
「せっかく京大の工学部に合格したんだから、
入学して籍は置いて、受験したら?」
というアドバイスされて、1年間だけと約束して、
大学には籍は置いて、
医学部目指して受験勉強をしました。
— そういう形もあるんですね。
岩松:いわゆる仮面浪人ですね。
1年間一生懸命勉強して、医学部を受験したのですが、
見事に不合格。
親との約束もあるし、しょうがないなとあきらめて、
休学していた精密工学科に戻って、
2年生なのに1年生と同じ授業を受けるという形で
大学生活をスタートさせました。
ところが、医学部に行こうと目指していたのに挫折して、
工学部に戻ったので、気力が失せたのか、
ぽわぁ〜んとした形で大学時代を過ごしてしまいました。
だから「学生時代、何をやっていましたか」って言われると、
本当に何もやっていなくて。
家庭教師のアルバイト、塾の講師。
高校時代の友達とつるんで麻雀や飲み会。
— 工学部での授業や研究は、楽しいと思わなかったんですか?
岩松:楽しい楽しくないというより、
全然やらなかったですね。
工学部と言っても必修科目が無い学科で、
なるべく楽な科目ばかり受けていました。
だから、リクルートに入社するとき成績証明書を出したら、
「優」が一つも無くて、
人事にびっくりされてしまいました(苦笑)。
— ゼミとか研究室にも入らなかったんですか?
岩松:4年生になってからは
研究室配属になるので、ちょっとは行きましたけどね。
それまでは、大学には週に一度、
体育の授業だけ行くみたいな感じ、そんないい加減な学生でした。
試験の前になると、友達にご飯おごって
ノートを借りてという、そんな日々でしたね。
遊びまくって、完全に頭が弛緩してた時代です。
— 高校時代と差が大きいですね。
岩松:そう。みんなからは
「あいつ京大まで来て何してるんだろうね」って
言われることもありました。
ただ、家庭教師や塾講師のアルバイトは相当にやりましたよ。
だから、当時は結構稼ぎが良かったですね。
あるとき、「これって1対1で教える形式だと、
自分が遊ぶ時間が減ってしまう」
と考えて、友達と相談して塾をつくることにしました。
北田辺という駅で、
「北田辺進学セミナー」という名前の
中学・高校生向けの塾を作ったんです。
— 大学生のときにですか?
岩松:家庭教師していた生徒にも
自分の塾に移ってもらって。
それだけじゃ生徒数が足りないので近所でビラくばったり、
父兄の振りして父兄相談会の日程調べて、
当日校門の前で勧誘したり、
「進路面談で、なんて言われました?」なんて父兄に話しかけて。
近くの美容室にお願いしてビラ置いて
生徒を紹介してもらったりして、
そんなことしているうちに、塾の経営もまずまず軌道に乗りました。
だから、大学時代は遊びまくって勉強はしなかったけど、
塾経営から商売の真似事みたいなものに
目覚めた時期でしたね。
— そこからリクルートへ?
岩松:まだ続きがあるんですよ。
高校時代までは「優秀だ」って言われて、
「医学部行かずに、もったいないな」
なんて言われていたんですけど、
大学に行ってからは「あいつ何しに来てんねん」って
バカにされてる感じで。
自分の中で、「このままではいかんな」と感じていました。
「誰よりも勝ちたいし」、「力をつけたいな」と。
「岩松は凄いな」って
言われたいという思いがフツフツと湧いてきて、
自分を鍛えられる会社に行きたいなって思いが出てきたんですね。
目覚めた時期でしたね。
— 「鍛えられる会社」ですね。
岩松:あともう一つは、
商売というものに興味が出てきていたんですね。
理系の道で大学院とかに行くよりは、
文転して就職したいなと漠然と思っていました。
別に業界研究していた訳ではないけれど、
銀行とか商社とかに行って、
思いっきり大きな仕事をしたいなと
考えるようになっていました。
そんな時、リクルートで単発の
アルバイトをする機会があったんです。
2時間で3,000円という好条件の就職モニターアンケート。
就職活動前の学生が何を考えているのか、
インタビューを受けるという内容でした。
そこですっかり気に入られて、何回も呼ばれました。
モニターのバイトに何回か通ううちに、
先方から「お前、リクルートに来ない?」と誘われました。
最初は興味がなかったのですが、色々と話をしていくうちに、
「こういう人たちと仕事ができたら面白いだろうな」
「営業の仕事をすれば商売の基本が身につくだろうな」
と思い始めたんです。
さらに言うと、
話をしてくれていた人たちは2年~5年目の人たちなのに、
若いうちからこんなに仕事を任されるんだと思うと同時に、
彼らの「出来るオーラ」が凄いなと感じてました。
こんな中に飛び込めば、
自分を成長させる環境が絶対あるだろうと思って、
結局、就職活動は1社もせずに、リクルートに決めました。
— そうなんですね。
岩松:だからリクルートスーツを買ったのは内定式の前。
会社説明会やOB訪問に一社もいってないんです。
「わかりました、お世話になります」っていった後、
私服で当時の人事部長に面接してもらって
「よろしくお願いします」みたいな(笑)。
— あまり他を見ないんですね。これと決めると突き進むみたいな。
岩松:決断力があると言ってほしい(笑)。
でも、当時はもう一つ選択肢があって、
それは塾をそのまま続けること。
そこそこ経営は上手くいってたんですが、
学生時代の延長のような気がして、
まずは就職しようと思ったんです。
幸い、一緒にやっている友達が医学部だったので、
彼が続けることにして、
自分は「就職するわ」って決めて。
その友達には就職祝いで
アルマーニのネクタイを買ってもらいましたよ。
羽振りが良かったんでしょうね。
— それで、リクルート?
岩松:そうですね。
でも、具体的に「この事業をやりたい」
みたいなことは全くなかったですね。
こんな人たちと仕事したいとか、
営業をやってみたいとか、
どのように働きたいかっていうのはありましたけど。
そして、20代、30代は
ガムシャラに仕事したいなって思っていました。
リクルートに決めた時も、なんの事業をしているのか、
全くわかってなかったですね。
当時はリクルートブックっていうのが
就活生に送られてきたので、
こういう情報を扱う会社なのかなみたいな。
— 意外な感じです。色々調べて、これだって決めて活動したのかと。
岩松:当時から思っていましたけど、
「就職なんて縁のもの」だし、
そこまで来て欲しいと言ってくれるのなら
飛び込んでしまおうと決めたんです。
それに、自分を鍛えられそうだし、
誰よりも成長できる気がしたから。
一番大変だったのは、うちの両親。
特に母親は、もともと教育熱心なタイプだったので、
「大学は絶対、京大に行って欲しい」って言われ続けて。
だから京大の医学部を目指していたんですけどね。
それで、工学部に入学したら、
理系だから大学院にいくべきだとか、
文転するんだったら
「銀行に行くんやろうね」「総合商社に行くんやろう」
みたいな感じでした。
いかにリクルートが面白い会社かということを理解してもらうため、
当時出ていた書籍やパンフレットを
こっそり食卓のテーブルの上に置くなど、色々画策しました。
それを母親が読んでいるうちに、
「この会社、あんたに合ってるんちゃう」って
やっと承諾を取り付けたんですね。
ここが一番大変だったかな。