3.キャリアの節目は「暗黒期」

3. キャリアの節目は「暗黒期」

— ウィンドウズが出てくる前の話ですよね。

岩松:そうですね。

         そんな中、4年目の夏、つまり1988年、

         リクルート事件が起こりました。

         事件の渦中にあった通信コンピューター事業の部門内に

         人事を置く必要もないということになり、私たちは本社人事に

         戻されて、私は入社パンフレト作成やイベント運営、

         予実管理などの採用企画の仕事を担当しました。

         リクルート事件の起こった翌年の入社式では、マスコミ対応しながら

         武道館での入社式をやり遂げることも経験しました。

         その後、採用目標人数も減ることになり、人事部門が

         徐々に縮小されて人事採用から異動していくメンバーが

         増えていった時期でもありました。

         

— 社内の雰囲気はどんな感じだったんですか?

岩松:モチベーションが落ちることはなかったですよ。

         それは、採用担当だけでなく、

         世間の風当たりを直接受ける現場の営業メンバーも、

         そういう反響の大きさが逆に

         反骨のエネルギーになっていった感じでしたね。

         象徴的なことは、リクルート事件が報道され続けるなか、

         これまで面倒で着けていなかった社章をあえて着けるようになった

         社員が多かったことです。

         「自分たちは商売で何か悪いことをしているわけではない、

         誇りを持って仕事をしよう」って。

         会社の紙袋もロゴが見えるように意識的に持ち直したりして、

         逆に社員の結束は固まっていった感じだったと思います。

         

— 退社する方もいなかった?

岩松:ほとんどいなかったと思います。

         もともと辞める方が多い会社でしたけど、

         当時は逆に少なかったんじゃないでしょうか。

         事件が報道された年の内定者も、

         思ったほど辞退者は多くなかったですから。

         

— 転職していく人が多い会社のイメージですけど、繋がりは強いですよね。

岩松:会ったことなくても、

         何となく同じ釜の飯を食べた仲間みたいな

         感覚はあるのでしょうね。

         事件を経験した世代、しない世代に限らず、

         斜め横のコミュニケーションが活発な会社だったので、

         共通な知人も多く、横のネットワークも強い。

         共通言語も多いし、

         打てば響く間柄みたいなイメージですかね。

         それに、約束したことの行動が早く、言ったことはその日中に

         やってもらえるので、安心もできるのだと思います。

         

— 書籍の「リクルートの口ぐせ」の中にも、それは出ていましたね。

岩松:そうですね。

         その後の私のキャリアですが、5年目の秋に異動になりました。

         「今回異動させようと思うのだけど、お前はどこに行きたい」

         って上司に聞かれました。

         良い上司ですよね、希望を聞いてくれるなんて。

         その時、これまでずっと営業に行きたいと思っていたのに、

         ちょっと日和たんでしょうね、

         自分に営業はできるのかな、5年目で営業デビューって怖いな、

         という思いが過って「営業がいいなと思っていたんですけど、

         最近、経営企画部にも興味があるんです」って言ったんです。

         その一言が、キャリアの節目になりました。

         実は、この経営企画部に異動した時期が、

         自分にとっての「キャリアの暗黒期」。

         自分が採用した後輩たちが先に配属されていて、

         新人の時代から経営企画部にいたのですが、

         一緒に仕事をすると、みんな本当に優秀なんですよ。

         上司もすごく優秀だったし、

         自分の無能感に苛まれる日々がずっと続きました。

         

— 無能感?

岩松:「お前、採用でリーダーやってたんじゃないのか」って

         きっと、仕事の進め方、スピード感、優先順位づけ、

         勉強不足なことなど、何から何まで劣等生だったんでしょうね。

         それまでの採用担当の仕事は、毎年、採用目標を決めて

         数字管理して、欲しい学生を見つけては口説く。

         経営企画の仕事はもっと複雑だった。

         自分が担当する事業部門の状況がどうなっているのか?

         市場環境はどうなっているのか?

         新しい商品サービスが検討されているときに、

         客観的に見て、その商品サービスを始めるべきか否か?

         ダメだと思う場合、

         それを止めるためにどうやって経営会議にかけるのか?

         顧客企業が本当に求めているものは何なのか?

         など、もっと多様な視点が求められたんです。

         さらに言うと、

         担当業務に必要な知識を猛烈なスピードで習得したり、

         マーケット分析してデータを読み込んだり、

         とにかくビジネス書を読みまくることも求められる。

         例えば、打ち合わせでドラッカーの話が出て、

         「じゃあ、明日までに読んできて、

         それを元に明日打ち合わせしよう」となる。

         「この分厚い本をですか?」みたいな。

         自分は一晩では読めないし、覚えきれない。

         でも、自分が採用した後輩たちは

         パーフェクトに読んで理解してくるんですよ。

         「全然、俺ってダメだなぁ」って。

         このギアチェンジがなかなか出来なかったですね。

         

— 興味がわかなかったんですかね?

岩松:興味云々のレベルまで

         行ってなかったんだと思います。

         データを分析するのは楽しいから好きだったけど、

         この優秀なメンバーの中で大丈夫なのって、

         どんどん萎縮してしまってました。

         そんな感じで経営企画部の1年間は過ごしましたね。

         今でも覚えているのは、ちょうど「経営の3原則」という

         経営理念を作り変える仕事を担当したときのことです。

         この経営理念案を、社内の有識者に、事務局として

         意見ヒアリングに行ったんです。

         そこで、禅問答みたいなやりとりがいっぱい・・・。

         例えば、そのなかの一つの“新しい価値の創造”。

         「あなたが言ってる“新しい価値の創造”って、

         「新しい」と「価値」と「創造」って言葉の意味は一緒でしょ。

         なんで同じ言葉を3つ並べるの?」って言われて、

         まったく何も反論できなかった(笑)。

         とにかく、経営企画の時が、キャリアの節目でしたね。

         それまでの有能感が、もろくも崩れ去った時期です。

         

         

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岩松祥典さん プロフィール

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