1.「これしかやらない」って決めて突き進むこどもでした
— いつ頃から「将来の仕事」について考え始めましたか?
齊藤: 学生時代、明治大学の商学部なんですが。
もっと遡ると高校時代、商学部しか受けないと決めていて。
これから話すこと全体に通じるんですけど
「これしかやらない」と決めると、それしかしないという、
そういう傾向が学生時代からありまして。
— その学生時代って、具体的にはいつ頃ですか?
齊藤: 先のこと考えるようになったのは、小学生かな。
将来の夢みたいな作文を書かされた頃から、将来どうするか考えて、
6年生に書いた作文では「地球の裏側で牧場経営」
みたいなこと書いたかな。
でも、現実の世界では、ぼくはインテリアショップの息子で、
ファミリーストアの1店舗経営。
だから、作文の最後には、現実的には店をもっと沢山つくって
全国に広げて、みたいなことを書いていた。
— ご家族から話をされていたからとか、そういう影響ですか?
齊藤: それは全くない。自分で考えていたね。
それが今の仕事に繋がっているかというと、
関係あるような気もするけど。
でも、小さい時って親や家族の影響ってとても大きかったと思う。
父親はひとりで経営していて、小売業の店主の背中は
小さい時からみていた。
インテリアショップなんだけど、一番売り上げのメインは
カーテンやカーペットのオーダーメイドの受注販売で、
その縫製を母親がミシンを使ってやっていて。
母親は結婚前、館山の文化服装学院の講師をしていたから、
今思えば、実は、服飾系に関係した血筋なのかなって。
小さい頃からミシン踏んでる母親と、店頭に立って
販売している父親と、2人の背中を見て育ってきた。
— 無意識のうちに、そういう姿が「働くこと」として認識されていたんですね。
齊藤: あと、うちの叔母が横田基地のタイピストをやってたの。
当時、同居していて、英語がしゃべれたのと、
家にいるときはずっとFENのラジオ放送を聞いている人でね。
基地でしか手に入らないアメリカのジャンクフード
買ってきてくれたりして。
そういうことから、結構、海外への憧れがあったかな。
— 当時としては珍しいことですね、それは刺激を受けますね。
齊藤: それで、実際に仕事のことを意識し始めたのが、高校生。
当時、商社が舞台の「ザ商社」ってテレビドラマがあったのも
影響してると思うけど、海外で仕事をしたい、
海外で仕事をするなら、商社だなと意識するようになっていた。
それで、商社に入るにはどうしたらいいのかって考えて。
今思えば他の学部の人も入れるんだけど、
商学部で勉強するしかないって勝手に思い込んでいて。
商学部に絞って受験した。
— それは、高校生のときですよね。先生には相談したんですか?
齊藤: いや、勝手に決めてたの。相談していたらもっと色々な
選択肢もあったと思うけど。
これだと思ったら結構決めて、絞り込んじゃう所があって。
2校、しかも商学部しか受けなかった。
で、明治大学の商学部に合格して、ちょっと浪人しようかなとも
考えたけど、先生に現役で明治大学に行ったほうがいいよ、
と勧められて。
— きっかけは思い込みからだったけど、無事に商学部に入学したんですね。
齊藤: そうですね。
「就職先は商社」と決めて、そのために商学部に入学して。
商社に行くにはどんな科目を取ったらいいのか考えて、
国際経済、貿易関係を専門にした先生のゼミにも入ってた。
それから、語学も必要だなと考えて、必須の英語以外に選択科目で
4年間英会話のクラスも取って、スペイン語会話っていうのも
2年間やったかな。世界の民族音楽っていう教養ゼミも取ってたね。
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つづき