3.消費者の顔が見えない仕事
— 総合商社の頃は、時間に忙殺されていたというか、そんなこと考える余裕がなく日々が過ぎ去っていくみたいな。みんな過酷な環境に置かれていた気がするんですけど。
齊藤: あっ、そうですね。
働いている間は、その通りでしたね。
そんなの忘れてたというか、考える余裕はなかった。
けど、入社当初はそんな思いを持っていたんだよね。
実際に担当を持って、本格的に動き出すと、
もう、それどころじゃない状況だったけど。
だから、働き出した20代のころは忘れていたかな。
それよりは、「目の前のこの仕事をどうしよう」と
そういうことだけを考えていたかな。
— そうですよね。毎日がバタバタでしたよね。
齊藤: 確かに、そうでした。
あと、もうひとつ。
働き始めた20代のころの経験としては、
「関連会社に出向させてもらった」
ことが、自分にとって大きかったと思う。入社3年目4年目で。
商社は川上だけど、川中っていうか、
百貨店や専門店のスポーツショップに商品を卸す企業だったので。
そこで、色々な会社から出向で来ている人と仕事をする経験をした。
それが、他の世界を知るというか、
今考えると、いい経験になったな、というのがありましたね。
— その後、最初に配属された本社の衣料部に戻られたんですよね。
齊藤: そう、それでその後、もとの部署に戻って。
バブル崩壊の影響が襲ってきてた。
国内生産から、アジアで安く、大量生産する形。
海外生産にだんだん移ってきて。
そこで、数を追っかける大量生産大量受注の取引先と
付き合っているうちに、在庫のリスクの怖さに気がついた。
発注するけど、なかなか引き取ってくれないリスク。
最初のオーダーが10万枚とか、すごい数で。
感覚が麻痺してきちゃったのかな。
それに追われると、在庫をあまり見なかった。
というか、気にする余裕もなかった。
— 当時、いろいろな取引先の在庫が社内でも問題になってきた時期ですよね。どの担当者もそんな感じでしたね。
齊藤: バブルの崩壊の前は、国内生産がメインだったし、
安いものよりは、高くていいものを求める傾向が、
どこのメーカーにもあったけど。
バブル後は、値段が厳しくなる、品質も厳しくなる、
引き取りも厳しくなる、というのをすごく実感して。
デザイナーやマーチャンダイザー(MD)と言われる立場の人が、
途中で仕様変更を繰り返すようになったりして。
そうすると、品質不良のリスクも高まるわけで。
そういう在庫や品質不良のことに追われているうちに、
商品を最終的に良し悪しの判断して購入するのは、お客様なのに、
そういう間にいる人たちが、色々こねくり回したりして。
それって、
「本当に最終ユーザーのこと考えてやっていることなのかな」
って、疑問が湧き始めた。
そういうことが多々起きるようになってきて、
「こんな消費者から遠い所で仕事していたら、
また在庫の山を作っちゃうのではないか」って、
そんな思いがこみ上げてきて。
「もっとリテール(小売)志向にならないといけないな」って。
— 消費者に近い所での仕事ということですか?
齊藤: そうですね。
ちょうどその頃、社内でも
リテール(小売)志向に目が向いてきたというか、
店舗を持っている取引先と付き合うような動きがでてきて。
勢いのあるところとやっている連中も出てきてたよね。
で、僕らもそういう取引先を開拓したいなと思いはじめて、
もうちょっとリテール(小売)志向な仕事をしたいと。
そんな願望を持ちながら仕事をしていた時期だったかな。
それが、「もっと前に出ていかなければいけないな」
と思った転機というか、消費者に近いところで仕事がしたいなと、
商社を出て行こうかなと考え始めたきっかけかな。
あとは、これもちょっと無謀な考え方なんだけど。
アメリカへ出張に行くと、感じていた想いがあって。
アメリカのリテール(小売業)を実際に見たことによって、
小学生の頃に感じていた
「安くて良いものを日本に紹介したい」という想い。
それが、ずっと心の奥にあって。
まあ、誰にいってもバカだって言われたけど。
総合商社を辞めて、
「アメリカにいって仕事したい」という思いが出てきて
10年目、32歳の時に、実行しちゃったんだよね。
— それは、次の目標が見えて行動したいって、気持ちが強くなったという感じですか?
齊藤: うん、そうですね。
アメリカに行って小売の仕事をしてみたいという。
今やっていることのけじめがついたら、
辞めて、次に行こうという。
— 小売と取引しようではなく、小売の世界に入ろうということなんですね。
齊藤: 結果的にはそうなったって感じだね。
まあ、たぶん、実家がリテール(小売)をやっているって、
そういうことが、関係していたのかもしれないけど。
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