2.絶対、商社マンになる
— どんどん商社への夢が近づいてくる過程で、他に目がいったり迷いが出たりはしなかったんですか?
齊藤: うん、そうですね。
逆にアルバイトでお金貯めて、3年生のときから海外旅行に
いったりして。中国や香港にもいったね。
あと、主にアメリカだけど、叔母の影響もあって、
海外には、安くていいものが沢山ある。
日本は、高いけどクオリティはあまりよくないって、
そんな印象があって。
安くて良いものをいっぱい輸入して
「日本をもっと豊かにしたいな」って考え始めた。
— 海外へのあこがれから商社を目指して働きたい、そう思う動機がだんだん形になっていったんですね。
齊藤: それまでは、漠然と商社に憧れていたのが、もう少し絞られて
「消費財がいいな」って。
商社を目指す学生って、世界を舞台に大きな仕事がしたいって
志望することが多いんだけど。
ぼくは最初から消費財を扱いたいと思っていたので、
結構珍しがられた。
そんなことで、実際の就職活動では色々な業界は見たけど、
きちんと受けたのは商社だけ。
総合商社はほぼ全部、中堅も含めて商社だけ受けていた。
しかも、「消費財を扱いたい」、
「日本を豊かにしたい」っていう志望動機が珍しがられて。
— 商社志望だと、海外に行きたい、プラント建設とか大きな仕事で活躍したいって理由多かったですよね。
齊藤: そうそう。だから、面接でのウケはよかったよ。
それで、運良く総合商社に内定もらって。
— 実際、商社志望で就職活動してみて、挫折感とか味合わなかったですか?競争率もすごいですし。
齊藤: うん、当時の就職活動って、今みたいにシステマティック
でなくて、自分でOB見つけて電話かけまくって、
60社くらい行ったかな。
「昼飯おごってもらえる」っていうのもあったし。
この時くらいしか色々な会社の社会人と話をできる機会は
なかったので、必死で会ってくれる人を見つけた。
ただ、挫折感というと正直、第一志望だった総合商社はダメだった。
6人くらい次々にOBに会うことは出来たけど、本選考には入れず。
もう一度、一般枠で受けたけど、
その時点ではほとんど決まってた、っていうことで入れなかったね。
だから、当初、総合商社の中で入りたいなって
思っていた2社はダメで、
最終選考までいったのは別の3社だったかな。
で、ご縁があったのはトーメン(現 豊田通商)だったと。
その総合商社は何年ぶりだったかな、
10年ぶりくらいに2人明治大学から入ったという感じだったけど。
— 最終的には目標だった総合商社の内定を得て、入社することになった訳ですね。
齊藤: そうですね。それで、今度は消費財を扱う部署なんだけど。
当時、その商社ではドラフト制度があって、
「どこの部署で働きたいか」って
内定をもらった学生がプレゼンするんだよね。
そのドラフトで、食品・食糧・衣料を希望して、当時の衣料部の
部長が目をつけてくれて衣料部に配属になったんだよね。
— 希望通り消費財を扱う部署に入ることができたんですね。
齊藤: そうそう。
あと、これは就職活動とは別の経験だけど、
大学3年生の時受けた授業で
”アントレプレナーシップ”
起業家精神が経済を活性化させるという
アメリカの事例を使って説明された授業があって。
実は、それが学生の自分にとってはすごく刺激的で、
印象に残っていて。
だから、商社に入ってもそれがゴールではなくて
「社長になる」とか
「自分で独立して何かしてみたい」っていうのが、
次の目的として出てきた時期でもあったかな。
— ”アントレプレナーシップ”って、その頃は今ほど、言葉自体知られていない感じですよね。
齊藤: そうですね。
でも、その時に、40歳で社長になるっていう目標を漠然と持って。
今でも、当時の上司に会うと、
「君は新入社員の時にトーメンの社長になる」と言ってたよなって。
その時は、そう言ってたけど入ったら分かるでしょ、
40歳で社長って無理だって。
そのくらいの勢いで入社してきて、
「不思議なことをいう奴だな」と思われていた。
まあ、漠然と40歳で独立起業、
あと、55歳でセミリタイアをするんだと、
なんとなく考えていて。
あと、もうひとつ。
50歳くらいで自分の書いた本を出したいな
っていうのもあって。
そうやって「先のことを考えながら」
「今なにをやるべきか決めている」
このスタイルは小学校の時から続いていて、
今に至っているのかな、っていうところですかね。
<Episode_3 オープンしました!!>
つづき