2.東京配属、しかも人事の採用担当!!
— 親世代からすると、「リクルートって?」って感じですかね。
岩松:当時はね。
内定した時の前年まで
「日本リクルートセンター」という社名でしたから、
調査会社みたいなイメージですよね。
領収書の会社名欄を「陸ルート」とか「ヤクルト」って
書かれたって笑い話があったような時代です。
そして配属先は、自分で勝手に
大阪勤務の営業って思っていたんです。
ところが、3月の中旬、人事から電話が掛かってきて
「勤務地が決まりました、東京です」と内示がありました。
ずっと実家から通っていたので、
社会人で初めて一人暮らし始めることになったんです。
まぁ、「東京の方がビジネスが大きそうだし」と頭を切り替えて、
荷物を寮に送り込んで、4月1日の入社式を迎えました。
入社式当日に配属発表だったのですが、
“総務部人事課新卒採用担当”だった。
「営業」じゃないんだな・・・、みたいな感想。
それに、採用担当だとしても、関西なら色々な大学名を知ってる。
でも、東京って「どんな大学があるのか?」って次元だったので
「なんでわざわざ東京に来て、採用担当なの?」って、
ちょっと戸惑いました。
— 戸惑いはしたけど、嫌だなっていうのは無かった?
岩松:嫌だって言えないでしょ(笑)。
どちらかというと「なんでだろう」って印象かな。
実際には、当時のリクルートの採用担当は
営業っぽい側面も持っている部署で、
内定承諾目標が担当別に割り振られて、
個々人の達成度が目に見えるんです。
なおかつ、5月までに何人とか、
月間目標も決まっているような部署でした。
— 新入社員の採用で?
岩松:担当する学生が割り振られて、
一人ずつ口説いていくという感じですね。
同期で東京の採用担当が6人いたので、
これがもうライバルですよね。
関西の担当者たちとも競争だし。
これって何か営業っぽいなと思って、
だんだん楽しくなっていきました。
さらに言うと、学生の本音を引き出すのって、
営業のヒアリングに近いし。
どのように会社を語るのか、自分を語るのか。
さらには、人生決めさせるのも、
営業での契約クロージングのテクニックに
近いんだろうなと気付きましたね。
— 知らない人と話すことや、気づきを得ることが好きなんですか?
岩松:いえいえ、その逆!!
高校時代はガリ勉だったし、
大学では高校時代の仲間とばかり遊んでいた。
サークルにも入ってないし、
アルバイトは家庭教師や塾講師だったし。
小さなコミュニティでしか過ごしていなかったので、
友達はすごく少なかったですからね。
採用の仕事は、初対面の人と話すことから始まるんですが、
やっているうちにだんだん面白くなってきましたね。
当時は関西弁、バリバリだったんですけど、
東京の学生の中にはそれを嫌がる人もいることがわかったので、
標準語で話してみたり。
相手のタイプにあわせて打ち解け方を工夫したり、
リクルートの魅力の伝え方を変えたりと、
試行錯誤でやっていましたね。
この時期は、採用のイロハを勉強させてもらったと思います。
— 採用のイロハとは?
岩松:例えば、学生を口説く時の「旬」の見極め方。
早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ。
だから、志望が高まってきた時にちゃんと口説く、
ちゃんと自分の言葉で語る。
それで、承諾の握手をするんですけど、
一晩寝ると学生の気持ちがまた揺れ戻すこともあります。
だから、翌朝必ず電話することを欠かさずやっていました。
そんな採用の基礎を学びましたね。
当時、リクルートは情報誌のビジネスだけではなく
通信コンピューターの事業を新しく始めた時期でした。
そこで、理系学生をたくさん採用することになって、
それなら理系出身の採用担当がやれということになり、
私が2年目の4月、
理系採用の専門部署が立ち上がって、
そのリーダーとして4名の後輩がつきました。
— 仕事に後輩のマネジメントも入ってきたんですね。
岩松:2年目の4月でリーダーになったので、大変でした。
まだまだ採用について勉強中の身なのに、
新人4人の面倒をみながら、
首都圏理系の採用目標100人を達成しなければならない。
採用人数が未達だと新しい事業の根幹に関わるので、必死でした。
当時はリーダーといっても、
マネジメントなんて考えてもいなかった。
「俺が言ったようにやれ」みたいな。
2年目から4年目まで、その部署にいましたけど、
すごい怖いリーダーだったと思います。
「鬼」みたいだったかも(笑)。
必達は当たり前。
言ったことは必ず、すぐやらないとダメだし。
今だったらパワハラで訴えられるぐらいの
厳しいリーダーだったと思います。
— それはリクルートのリーダーのスタイルだったんですか?
岩松:いえいえ。
リクルートのリーダーのスタイルは
もっとコーチング的な感じですよ。
「これどうしたらいいんですか?」って聞かれたら
「君はどうしたらいいと思う?」みたいな、
自分で考えさせる会話をする人が多かったですね。
私はそれができなくて、「こうするんだ!こうやれ!」って。
4年目のときには、その部署が全部で40人くらいになりました。
新卒採用、中途採用、教育研修、
総務イベントと諸々のチームが発足して、
「組織が出来上がってくるってこういうことなんだな」
というのを目の当たりに出来たのも、良い経験でした。