5.保育園争奪戦、これが現実でした
— それで会社を辞めて、子育てに専念したんですね?
池照:はい、半年くらい。
— あれ、半年で復帰ですか?
池照:そうなんですよ。
たまたま、ファイザーがグローバルで
ダイバーシティのプロジェクトを始める時で、
日本でも新しくやっていく担当者を採用しようとしていたんです。
その時、採用担当だった方がわたしの名前を覚えていて、
「そう言えば、池照さんってどうしてるの?」って
エージェントに連絡があったそうです。
でも、まだ息子は6ケ月でしたから、
「少し無理なので」と伝えたところ、
話だけでもと言っていただいたんです。
— お話しを聞いてみてどうでしたか?
池照:もちろん子供と24時間向き合える時間も
素晴らしい経験ではありましたが、
ちょうど「今後のこと」をぼんやりと考え始めた頃でした。
お話を聞きに行ったら、ダイバーシティのプロジェクトや
女性の支援制度をどんどん作っていきたいし、
そういう役割を担ってほしいということだったんです。
そこで考えたのが、
「あっ、そうか。
自分が当事者になっているんだから、いい機会なのかも」って。
— まさに、ご自身が必要としている制度だったんですね。
池照:はい。
それから、もう一つ。
今までの会社では、現場に張り付いて
採用から評価、報酬と、あれもこれも、
全体を担当することが多かったんです。
大変勉強になりましたし、それが楽しかった。
それが、ファイザーは規模が大きいこともあり、
人事の機能ごとに担当をつけているんですね。
一つのテーマや機能を深めていくような、
そんな形での仕事も経験してみたいと素直に感じました。
まず、母親として当事者であるし、
それに関連したテーマの仕事でもあるので、
これはぜひ挑戦してみたいと思いました。
結局、入社したのは数ヶ月後ですが、
働くための準備をスタートさせました。
— 準備は順調に進みましたか?
池照:当時、ファイザーには、時短制度はまだなくて
これから作っていくところでした。
フルタイムで働くと6時までが就労時間だったので、
フルタイムのオファーを契約社員にしてもらい
5時で帰ることで仕事を始めました。
当初は、
「せっかく正社員のオファーなのに」と言われたりしましたが、
ここで試したかったことがあったんです。
— 試したかったこと?
池照:はい。
それは、「どう働くか」よりも、
どう「生きたいか」で働き方を選ぶこと。
でも、不安はいっぱいでしたよ。
— 必然的に、「その形」でしか両立できない現実があったんですよね?
池照:その頃、ファイザーには
働くお母さんは何人かいらっしゃっいましたが、
両親双方の親が遠方で「手が借りられず」という方は
知る限りいなかったんでです。
— そういう方々とは、正社員として働くための環境が違っていたんですね。
池照:そうなんです。
それで、その時、採用してくださった方に言ったんです。
「わたしには近くに両親や頼れる親戚もいない」
「子育ては、わたしと旦那でやらなきゃいけない、
でも旦那は、出張も多い。
はっきりいって、やっていけるかどうか不安です」と。
— どんな答えが返ってきましたか?
池照:そしたら、彼が
「池照さんみたいな人が仕事を続けられるっていう
仕組みを作らないといけないんじゃない」って。
「人事としてあなたが作らないといけないんじゃないの」って、
言われて。
私も単純なんですが、妙に納得しちゃったんです。
「だったらやってみようかな」って、その言葉に。
「どう生きたいか」に挑戦できるかもって。
— 仕事と子育てを両立。実際やってみてどうでしたか?
池照:保育園を見つけるのが大変でした。
いわゆる「待機児童」というやつですが、
育休をとってからの復帰でもなく、
いったん会社をやめて再就職ですから、
区の規定ではポイントも低いということで
全く保育園に入れずでした。
— 今もニュースで話題になってますね。
池照:そうですね。
でもいい機会である、とも考えました。
自分はこれからワーキングマザーのための仕組み作りをする。
私が困っているということは、
こんな風に困る人がぜったい出てくるはずだって。
本当に、どこも決まらなくて、保育ママさんとか、
シッターさんとか、使えるものは何でも使いました。
保育ママさんにお願いしていた頃は、
まだ首が座るか座らない感じの赤ちゃんで、
車に乗せて、保育ママのところまで1時間かけて往復し、
それから電車に乗って会社行って。
帰りもまた、うちに戻って車に乗って迎えにいくみたいな、
それをずっと、繰り返していていました。
東京の比較的真ん中に住んでいるのに、そんな状態です。
— 「保育ママ」ってなんですか?
池照:ご自宅で近所の子供たちを預かるっていう
仕組みがあるんです。
行政やNPOなどが紹介してくださる形になっていましたね。
— そういう場所があるんですね。
池照:あとは、お金はかかりましたが
ベビーシッターさんにもお願いしていました。
とにかく、その当時考えられる保育サービスは
全て試してみました。
自分が経験すれば、社員の方が困った時に
何かアドバイスできるかも知れないし。
でも、保育園には入れなくって。
結局、半年して入れたのが認可でなく認証保育園。
やっと、そこで空きがある感じでした。
でも、月10万円も掛かるんです。
— えっ、高い!?
池照:そうなんです。
月々10万円かかる保育園に通わせるって、
誰でも使える訳ではないですよね。
そこは、24時間対応だったので、CAさんとか看護士さんとか、
夜勤の仕事のあるお母さんたちが結構入っているんですけど、
そこしかないんですよ、本当に。
そこに通っているっていう領収書を添付して、
毎月、区の窓口に提出するんです。
そうしないと、認可に入るための順位が上がらない。
それが当時の保育園の争奪システムですよ。
保育課には毎月行っていましたね。
— 窓口に行かないとダメなんですね。
池照:そう。「毎月10万円払いました」って。
「それでも、わたしは仕事を続けていますよ」
ということを訴える場なんです。
周囲のママ友のアドバイスもいただき、
その認証保育に入れていた1年間の間に、
品川区に嘆願書も書きました。
「わたしを入れてくれ」っていうことではなく、
そもそもこういう仕組みでやるのは無理があるし、
実際、仕事に就いている人たちに対して
「この仕組み、もっと改善できませんか?」
という疑問を呈した感じですよね。
— 実体験をしながら、制度作りをしていたんですね。
池照:はい。
でも、契約社員ということで周りには
「なんで契約なのにそんな仕事しているの」っていう人はいました。
それまでずっと正社員で人事という立場で働いていましたから、
自分が契約社員という立場になって、
雇用形態と役割についても
考えさせられる機会をいただいた訳です。
私自身はあまり気にしないようにしていまたが、
何より有り難かったのは、当時の上司です。
私が契約だろうが何だろうが
「できる仕事を」といって、役割を与えてくれて
他の正社員と同じように扱ってくださいました。
ダイバーシティなどの担当の後、
グローバルの報酬プロジェクトや
評価制度の改定プロジェクトなどを担当して、
本当に、雇用形態は関係なく仕事をすることが出来ました。
それが、すごくよくて。
まあ、5時に帰っても、持ち帰って仕事はやっていましたけど。
自分の裁量のなかで仕事を続けることは出来ましたね。
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