7.揺らぎすぎないで10年先の姿を想像する

7.揺らぎすぎないで10年先の姿を想像する

池照:大学院に入学した頃は、 

         独立するなんて、予定はしていませんでした。

         これまでと変わらず、ビジネスの現場で

         バリバリに働いて行くと思っていました。

         独立の「ど」の字もなかったので、

         周りのみんなは、逆にびっくりしたんじゃないかな?

         

— でも、その形にしてみようって、ひらめいたんですよね?

池照:一番やりたかったのは、 

         子どもと一番一緒にいたい時期に

         子育ての時間を確保すること。

         そして、人事という軸で仕事を続けること。

         はっきりいうと、ICは3年くらいで辞めて

         また組織に戻るのかなと、自分では思っていました。

         

— 法人化の準備は、すぐに進めたのですか?

池照:はい。 

         それは最初にクライアントになってくださる企業にとって、

         個人事業よりも法人化した方が良いと分かっていたからです。

         それから、会社を作ること自体はそんなに難しいことではないと。

         それは、大学院に行って知ったことなんです。

         「独立自体はそんなに難しいことではなく、

         問題はそれを継続させていくことだ」って。

         

— すでに10年。この働き方が向いていたということでしょうか?

池照:「向いている」と 

         思ったことはあまりないです。

         でも「自分の目的を果たす働き方のひとつ」

         であったことは確かです。

         「子育ての時間確保」と

         「できるだけ経営に近いところで人事の仕事をする」

         この2つを実現させていますから。

         この働き方を選んで、

         仕事(ワーク)と生活(ライフ)をバランスさせるよりも、

         「ブレンドさせていく」という考えになりました。

         

— 「ブレンドさせていく」ですか?

池照:具体的には、 

         「どう生きたいかから、どう働きたいかを選択する」

         という視点です。

         この10年の私の「生き方」の目的に、

         IC問う働き方は合致しています。

         そう言う意味では「向いています」ね。

         もし次の10年の目的が別であれば、

         働き方や仕事との関わり方を変えていけば良いと思っています。

         ICかもしれないし、組織に戻る形かもしれない、

         正社員、パート、生き方を考える上で

         一番良いものをその時に選べるようにする。

         こんな働き方が日本で選べることが大事なんだと、思っています。

         もう一つ、向いているかどうかは

         あまり考えたことはありませんでしたが、

         私は「仕事を楽しむ」達人なんです。

         少なくとも、そう信じ込んでいます。

         特に、どんな仕事でも

         自分で選択したのであればなおさらです。

         

— 両立のコツというか、ヒントはありますか?

池照:子供を授かってから、

         私は仕事への考え方が、大きく変わりました。

         人生の役割を考えるようになったんです。

         子供に恵まれた時期が、

         ちょうど仕事を始めてから10年ちょっとたった頃。

         では、私を必要としてくれている家族が増えてからの10年、

         そして20年はどうやって生きていくんだろうと。

         その視点で、ゆるやかに

         10年毎の自分のステージをを考えてみたんです。

         子どもに恵まれた最初の10年は、

         仕事の時間よりも

         「自分が大事だと思う時間に優先順位を置こう」ってことです。

         

         私の場合は、人生を4つのパートに区切り、

         それぞれにどのくらいの時間とエネルギーの配分をするかを

         考えてみることからスタートしました。

         4つは、仕事、社会活動、自分、家族&友人なのですが、

         これで区切って考えてみると

         子どもが家族に入ってからの10年は、

         家族&友人の部分が増えて、

         仕事の部分を少しセーブ気味にするっていう

         配分が分かってきました。

         つまり、どう生きたいか、何がしたいかを考えてから、

         どう働くか、どう時間を使うか、を考えたということです。

         そうしたら、ICという働き方に出会った。

         

— やりたいことより、雇用形態での選択が中心になる人も多いですよね?

池照:いろいろな考え方があると思いますが、

         正社員、パート、IC、などは、あくまで「働き方」の多様性であって

         「やりたいこと」を実現するためや、生活のための

         手段だと思っています。

         ただ、子育てなどの時間的な制約がある場合は、

         「やりたいこと」だけのために

         働き方を選択できないこともあります。

         時間や場所などの物理的な問題を解決するためには

         「働き方」を変えざるを得ない場合もある。

         そんなバランスと、どのくらいの時間枠で

         それらをコントロールしていくのかを、

         ゆるくでもいいので、自分で考えたり、

         描いたりする時間は、必要かと思います。

         

— その考え方を身につけることが大事?

池照:そうですね。

         私はこの4つのパートに区切る方法を

         定期的に自分の生活に取り入れていますが、

         年に1度でもいいのだと思います。

         例えば、子どもが10歳になるまで、

         家で一緒に過ごす時間を最優先にしたいと考えるのであれば、

         労働時間が短くなる。

         平日は仕事をバリバリして、

         子育ての部分は信頼できる方にある程度お任せして、

         でも、週末はべったりと過ごす。

         それを、じぶんで選べればいいのだと思います。

         年に1度でも、

         「これから10年はどうしようかな。10年後、この子は〇年生だな、

         どんなことに夢中になっているかな」って考えてみる。

         そうすると、せいぜい子供とべったり過ごせるのは、

         子どもがうまれてから最初の10年に

         凝縮されていることが分かります。

         次の10年は、すこしずつ親離れ、

         子離れしなければならない時期になるので。

         こういったことを時々思い出すだけでも、全然違うと思うんです。

         

— 先のことに目を向ける余裕と機会がないのかもしれないですね。

池照:確かにそうですよね。

         実際には、この10年後の事を考えたら、

         仕事をセーブするのであまり仕事に熱が入らなくて、、、、

         なんて考えの方もいらっしゃいます。

         ただ、私は逆にこれを

         その先の10年に活かす形で使ってほしい。

         だから、例えば仕事の時間を少し減らす選択をしたら、

         その減らした時間で、

         どうやって先の10年を見据えて

         自分に対してゆるやかな投資ができるかを考えてみる。

         「あ、3年後に子どもが小学生になったら、

         夕方には家に帰ってくる生活にした方がいいな」とか。

         実際に、私はそう考えて息子が小学校に上がる前に

         大学院を修了することを計画に入れました。

         ですが、何も大学院に行くことだけではないと思います。

         私のキャリア講座でこの方法を習得された方は、

         時間がなくても

         「月に1回は自分が目指す仕事についている人に話を聞きに行く」や

         「10年後に目指す仕事関係の本を月に1冊読む」

         などからスタートし、

         実際にご自身で描かれたキャリアを歩んでいる人もいます。

         やるか、やらないかだけかなと。

         あとは、個人の選択ですね。

         

— 見えている「選択肢」がすごく狭いのかも知れないですね。

池照:そうなのかも知れないですね。

         でも、かちっと決める必要もないし。

         おそらく働き続けているだろうなとか、

         こどもが大学生になっている頃だから、

         じぶんの時間がずいぶん持てる。

         友達と旅行にも行きたい、でも費用は旦那に頼りたくないなとか。

         その頃には親も年取っているので、

         土日に少しみてあげる時間も取りたいなとか。

         そういうイメージは、誰でも出来ると思うんです。

         それに向かって、

         「じゃあ、今なにをしたらいいのか」を考えてみる。

         現時点では仕事の時間がさけないなら

         パートとして関わることも、

         目的を達成するための一つの方法ですし。

         

 

— 雇用形態ではなく仕事の中身で、という感じですか?

池照:「仕事の内容」と「働き方」は

         少し分けて考えてもいいということです。

         これからの時代、

         「正社員でないとできない仕事」がもちろん残りますが、

         「正社員じゃないからこそできる仕事」もあります。

         そこをどう見極めるか。

         それから、会社や誰かが

         その働き方を提示してくれるのを待つことなく、

         自分で提案していけばいいのだと思いますね。

         最初はいろいろ言われますが。。。

         わたしも契約社員になったりした時に、

         色々、言うひとはいたんです。

         「契約社員のくせに、こんな仕事して」とか。

         そういう事を言うひとって、いっぱいいるんですよ。

         そういうひとは絶対いる中で、

         「ひとの話にあまり揺らがない自分」を

         作って行かなきゃいけないなって。

         

— そういう経験もされてきたんですね。

池照:なにか言われた時に、

         それに一々反応していたら、

         やりたいことは「出来なくなる」と思うんです。

         

— 周囲に敏感になりすぎてしまうのでしょうか?

池照:そうですね。私達、真面目ですから。

         そういうのは、それこそ、この仕事を始めて

         EQ(感情知性)みたいなことを知ってから、

         「あぁそうか、揺らぎすぎるっていう傾向は女性に多んだな」って

         いうことを感じています。

         今、女性リーダーの方たちに色々提供しながら、

         「揺らがない自分をどうやって作っていくか」っていうことを、

         一緒に考えたりしているんです。

         そこに気づくだけでも全然違うと思いますよね。

         「反応するな」とは、言わないんですよ。

         バランスも必要なんですけど、揺らぎ過ぎていて、

         本来やりたかったことを見失っては、もったいないです。

         10年単位で考えても、時間は限られていることが分かります。

         自分の人生ですもんね。

         

— いろいろなお話しを聞けて楽しかったです。ありがとうございました。

         

         

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6.制約があったから思いついた働き方

6.制約があったから思いついた働き方

— 働き方を工夫しながら、仕事を継続したのですね。

池照:そうですね。 

         最後の方は部署が変わって、複数の社内プロジェクトを

         常にこなす部署に異動になりました。

         ここでの仕事は、本当にすべてプロジェクトベースで

         進んでいくみたいな形だったんです。

         今考えてみると、

         それがICの仕事を考える上で良いヒントになったような気がします。

         

— その後、転職を決めた?

池照:はい。 

         以前の会社の先輩に声を掛けていただき、

         日本ポールに移りました。それが2004年です。

         その時も、週に4日ということで契約にしてもらっています。

         

— そこでも申し入れしたんですね、働き方を。

池照:そうですね。 

         ちょうど子供が2歳から3歳頃だったので、

         子供といる時間をできるだけ増やしたいなと思って、

         契約という形にしていただきました。

         あと、具体的には考えていなかったんですけど、

         「何か始めたいな」って思い始めていて。

         その「何か」を考えるにしても、

         インプットの時間があまりにもなかったんです。

         「母親をやりながら仕事をする」って、

         けっこう分刻みなスケジュールで、

         インプットしているっていう感覚が全くないんです。

         週に4日の形で、そこで働く間にいろいろ考え、

         大学院に行くことを決めて、

         法政大学大学院のイノベーションマネージメントで

         経営学の勉強をすることにしました。

         

— 日中、1年コースの社会人大学院ですよね。

池照:そうです。 

         この話は内閣府の有識者会議に参加した時に

         プレゼンで発表したのですが、

         法政大学に決めたのは、明確な理由があるんです。

         当時、東京の”ど真ん中”に住んでいながら、

         夜の授業を取らずに修了できる社会人対象のMBA大学院、

         つまり、保育園のお迎えに間に合う学校は

         そこしか見つけられませんでした。

         結果的には素晴らしい先生方、カリキュラムに恵まれましたが。

         

— 確かに、夜と土日すべて学校に費やすことになるので、厳しいですよね。

池照:そうなんですよね。 

         大学院に行ったのは、フォード時代の元上司が

         わたしのメンターみたいな形で、時々お話を聴いてくださるのですが

         彼のアドバイスがきっかけです。

         「池照は人事のセンスはすごくあって、仕事もやれているんだけど、

         経営の勉強をどこかでした方がいいよ」と、言われて。

         「経営の勉強?」と。

         確かに、いわゆる本部長クラス以上の方々について

         その部門の採用から人員の配置や開発まで

         一連をパートナーとしてサポートする仕事なのですが、

         最終的には「経営」の話になってくる。

         その時に、きちんと彼ら視点で、もしくは先を見据えながら

         仕事ができることは大切かな、とは思っていました。

         

         もうひとつ、大学院で学ぶなら

         息子が保育園にいる時期の方がよいと考えていました。

         小学校にあがれば、彼の活動範囲も広がり、

         時間が取りづらくなることは

         周囲のママ友の情報からも分かっていましたから。

         そう考えたら、「今しかない!」

         って飛び込みました。

         主人も忙しかったので、

         あまり相談もせずに試験も受けて、

         「受かったし、春から大学院にいく」と伝えたら、

         ちょっとびっくりしていましたが

         反対もせずに、応援してくれました。

         

— 入ってみてどうでしたか?

池照:私が通ったコースは 

         通常のMBAの過程に加えて、少し特徴のあるコースでした。

         ビジネスプランを自ら構築し、

         その計画と実践への道筋について、

         実際にキャピタリストや経営者の前で

         プレゼンテーションの機会があるんです。

         さらに、自ら立あげたビジネスについて、

         それを修士論文のテーマにするというものです。

         私には比較対象はありませんでしたが、

         アカデミックよりも実際のビジネスを基軸に

         授業や研究テーマが進められたため、実践的でした。

         教授やアドバイザーとしてつく方々もビジネス経験がある、

         または、ビジネスをしながら関わられる方が

         多くいらっしゃいました。

         「ビジネスを立ち上げる」

         なんて考えたこともなかった私にとっては、

         頭の中がひっくり返るような感覚。

         そして、全然ビジネスマインドがない

         自分にも出会うことができた刺激的な1年でした。

         外部のアドバイザーは実際の経営者ばかり、

         その方々の前で自分のビジネスについて

         プレゼンテーションをするのですが、

         「こんなのビジネスになっていない」って

         ケチョンケチョンに言われるんですよ。

         それまで会社員として評価もされ、

         結構認められてるって思っていたし。

         それなりに順当に役職も上がっていると感じていた私にとっては、

         へこみもしますが、ものすごく新鮮でもありました。

         だって普通に会社にいたら経験できないことなので。

         

— その時のプロジェクトが今の仕事のベースですか?

池照:ゆるくは繋がっていますけど、そのものではないですね。 

         ただ、人の力を強化するというところは同じです。

         

— 卒業後、すぐ仕事に戻ったんですか?

池照:はい。 

         修了後はまた組織に戻ろうと思い、就職活動を始めました。

         いくつかの企業の中には、

         ダイバーシティやワークライフバランスを

         今後ますます社内で推し進めたいので、

         私のようなワーキングマザーに推進していってほしい

         というお話がありました。

         

— ワークライフバランスが、社会にも認知されてきた時期?

池照:そうなんです。 

         それで、「いいな」って思ってお話をうかがいにいくと、

         実際にそこで働いているチームの人たちは

         働く時間が短いわけじゃない。

         むしろ従来の人事部の、

         昔の私のような働き方で、長時間労働なんです。

         「あ、この人たち夜10時前に帰ってないな」って

         面接すればすぐ分かりますから。

         でも会社としては、そういうことを進めたいから、

         「子育てしながらやってください」って言われるんです。

         でも、わたしは、5時にこの人たちを置いて、

         「さよなら」って出来ないな~、

         そこまで割り切れるメンタリティは育ってない。

         どうしようかなって考えてしまいました。

         

— 現場は、ワークライフバランスどころじゃない?

池照:はい。 

         わたしは、こどもが生まれてから

         守っていることがひとつだけあるんです。

         それは、

         「週に2回こどもと一緒に晩ごはんを食べる」ということ。

         これは、今でもずっと守ってきていることで、

         それができなければ仕事は辞めようと決めているんです。

         あと、せっかく大学院にいって経営の勉強をさせていただいたので

         できるだけ経営層に近いところで仕事をしたいと思ったんです。

         やりたいのはこの2つでした。

         この2つを掛け合わせた時に、

         「どうしたらいいんだろう」って考えて出た結論が、

         ICという働き方です。

         

— ここからICという働き方が選択肢に入ってきたんですね。

池照:この働き方を思いついたのは、 

         大学院に行っている時に、アルバイトを頼まれた経験からです。

         昇級するマネージャーのアセスメント面談をする

         アセッサーが足りないということで

         前職の仕事を部分的に手伝ったり、

         評価制度の企画に入ってほしいということで

         アルバイト的に元上司や先輩の仕事を手伝ったことがありました。

         いくつかこのようなスタイルでの仕事を経験した時に、

         「このアルバイトの形をそのまま仕事にできないかな」って。

         

         子育てしながら、

         人事の仕事を経営に近いところでやりたいっていうことを、

         この形で仕事にしてしまうっていうのはアリかなと思って、

         何人かの元上司や先輩のところに相談にいきました。

         そしたら、2人の先輩からそれぞれの会社で、

         「それをやるんだったらうちでやってよ」、

         「人、足らないからさ」って声を掛けていただきました。

         それで、もう決めたら行動が早いタイプなので、

         大学院にいる間に会社作って法人化しました。

         

— 本当に、働き方のイノベーションを形にしたんですね!!

         

         

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5.保育園争奪戦、これが現実でした

5.保育園争奪戦、これが現実でした

— それで会社を辞めて、子育てに専念したんですね?

池照:はい、半年くらい。

         

— あれ、半年で復帰ですか?

池照:そうなんですよ。 

         たまたま、ファイザーがグローバルで

         ダイバーシティのプロジェクトを始める時で、

         日本でも新しくやっていく担当者を採用しようとしていたんです。

         

         その時、採用担当だった方がわたしの名前を覚えていて、

         「そう言えば、池照さんってどうしてるの?」って

         エージェントに連絡があったそうです。

         でも、まだ息子は6ケ月でしたから、

         「少し無理なので」と伝えたところ、

         話だけでもと言っていただいたんです。

         

 

— お話しを聞いてみてどうでしたか?

池照:もちろん子供と24時間向き合える時間も 

         素晴らしい経験ではありましたが、

         ちょうど「今後のこと」をぼんやりと考え始めた頃でした。

         お話を聞きに行ったら、ダイバーシティのプロジェクトや

         女性の支援制度をどんどん作っていきたいし、

         そういう役割を担ってほしいということだったんです。

         そこで考えたのが、

         「あっ、そうか。

         自分が当事者になっているんだから、いい機会なのかも」って。

         

— まさに、ご自身が必要としている制度だったんですね。

池照:はい。 

         それから、もう一つ。

         今までの会社では、現場に張り付いて

         採用から評価、報酬と、あれもこれも、

         全体を担当することが多かったんです。

         大変勉強になりましたし、それが楽しかった。

         それが、ファイザーは規模が大きいこともあり、

         人事の機能ごとに担当をつけているんですね。

         一つのテーマや機能を深めていくような、

         そんな形での仕事も経験してみたいと素直に感じました。

         まず、母親として当事者であるし、

         それに関連したテーマの仕事でもあるので、

         これはぜひ挑戦してみたいと思いました。

         結局、入社したのは数ヶ月後ですが、

         働くための準備をスタートさせました。

         

— 準備は順調に進みましたか?

池照:当時、ファイザーには、時短制度はまだなくて 

         これから作っていくところでした。

         フルタイムで働くと6時までが就労時間だったので、

         フルタイムのオファーを契約社員にしてもらい

         5時で帰ることで仕事を始めました。

         当初は、

         「せっかく正社員のオファーなのに」と言われたりしましたが、

         ここで試したかったことがあったんです。

         

— 試したかったこと?

池照:はい。 

         それは、「どう働くか」よりも、

         どう「生きたいか」で働き方を選ぶこと。

         でも、不安はいっぱいでしたよ。

         

— 必然的に、「その形」でしか両立できない現実があったんですよね?

池照:その頃、ファイザーには

         働くお母さんは何人かいらっしゃっいましたが、

         両親双方の親が遠方で「手が借りられず」という方は

         知る限りいなかったんでです。

         

— そういう方々とは、正社員として働くための環境が違っていたんですね。

池照:そうなんです。

         それで、その時、採用してくださった方に言ったんです。

         「わたしには近くに両親や頼れる親戚もいない」

         「子育ては、わたしと旦那でやらなきゃいけない、

         でも旦那は、出張も多い。

         はっきりいって、やっていけるかどうか不安です」と。

         

— どんな答えが返ってきましたか?

池照:そしたら、彼が

         「池照さんみたいな人が仕事を続けられるっていう

         仕組みを作らないといけないんじゃない」って。

         「人事としてあなたが作らないといけないんじゃないの」って、

         言われて。

         私も単純なんですが、妙に納得しちゃったんです。

         「だったらやってみようかな」って、その言葉に。

         「どう生きたいか」に挑戦できるかもって。

         

 

— 仕事と子育てを両立。実際やってみてどうでしたか?

池照:保育園を見つけるのが大変でした。

         いわゆる「待機児童」というやつですが、

         育休をとってからの復帰でもなく、

         いったん会社をやめて再就職ですから、

         区の規定ではポイントも低いということで

         全く保育園に入れずでした。

         

 

— 今もニュースで話題になってますね。

池照:そうですね。

         でもいい機会である、とも考えました。

         自分はこれからワーキングマザーのための仕組み作りをする。

         私が困っているということは、

         こんな風に困る人がぜったい出てくるはずだって。

         本当に、どこも決まらなくて、保育ママさんとか、

         シッターさんとか、使えるものは何でも使いました。

         保育ママさんにお願いしていた頃は、

         まだ首が座るか座らない感じの赤ちゃんで、

         車に乗せて、保育ママのところまで1時間かけて往復し、

         それから電車に乗って会社行って。

         帰りもまた、うちに戻って車に乗って迎えにいくみたいな、

         それをずっと、繰り返していていました。

         東京の比較的真ん中に住んでいるのに、そんな状態です。

         

— 「保育ママ」ってなんですか?

池照:ご自宅で近所の子供たちを預かるっていう

         仕組みがあるんです。

         行政やNPOなどが紹介してくださる形になっていましたね。

         

— そういう場所があるんですね。

池照:あとは、お金はかかりましたが

         ベビーシッターさんにもお願いしていました。

         とにかく、その当時考えられる保育サービスは

         全て試してみました。

         自分が経験すれば、社員の方が困った時に

         何かアドバイスできるかも知れないし。

         でも、保育園には入れなくって。

         結局、半年して入れたのが認可でなく認証保育園。

         やっと、そこで空きがある感じでした。

         でも、月10万円も掛かるんです。

         

— えっ、高い!?

池照:そうなんです。

         月々10万円かかる保育園に通わせるって、

         誰でも使える訳ではないですよね。

         そこは、24時間対応だったので、CAさんとか看護士さんとか、

         夜勤の仕事のあるお母さんたちが結構入っているんですけど、

         そこしかないんですよ、本当に。

         そこに通っているっていう領収書を添付して、

         毎月、区の窓口に提出するんです。

         そうしないと、認可に入るための順位が上がらない。

         それが当時の保育園の争奪システムですよ。

         保育課には毎月行っていましたね。

         

— 窓口に行かないとダメなんですね。

池照:そう。「毎月10万円払いました」って。

         「それでも、わたしは仕事を続けていますよ」

         ということを訴える場なんです。

         周囲のママ友のアドバイスもいただき、

         その認証保育に入れていた1年間の間に、

         品川区に嘆願書も書きました。

         「わたしを入れてくれ」っていうことではなく、

         そもそもこういう仕組みでやるのは無理があるし、

         実際、仕事に就いている人たちに対して

         「この仕組み、もっと改善できませんか?」

         という疑問を呈した感じですよね。

         

— 実体験をしながら、制度作りをしていたんですね。

池照:はい。

         でも、契約社員ということで周りには

         「なんで契約なのにそんな仕事しているの」っていう人はいました。

         それまでずっと正社員で人事という立場で働いていましたから、

         自分が契約社員という立場になって、

         雇用形態と役割についても

         考えさせられる機会をいただいた訳です。

         

         私自身はあまり気にしないようにしていまたが、

         何より有り難かったのは、当時の上司です。

         私が契約だろうが何だろうが

         「できる仕事を」といって、役割を与えてくれて

         他の正社員と同じように扱ってくださいました。

         ダイバーシティなどの担当の後、

         グローバルの報酬プロジェクトや

         評価制度の改定プロジェクトなどを担当して、

         本当に、雇用形態は関係なく仕事をすることが出来ました。

         それが、すごくよくて。

         まあ、5時に帰っても、持ち帰って仕事はやっていましたけど。

         自分の裁量のなかで仕事を続けることは出来ましたね。

         

         

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4.育児支援制度があっても働き続けられない現実

4.育児支援制度があっても働き続けられない現実

— アディダスですか? その前に、ちょっといいですか?結婚は、どのタイミングでされていたんですか?

池照:マスターフーズ入って1年目ですね。

         

— 早かったんですね。結婚を機に退職とかは考えず、という感じですよね。

池照:あんまりそういうのは、考えなかったですね。 

         

— 結婚したら寿退社が当たり前な雰囲気が、まだ残っていませんでしたか?「就職したらお寿司」と同じ感じで?

池照:結婚したからといって辞める意識はなかったですね。 

         主人も私も若くて、お金もなかったですし。

         会社もそんなプレッシャーもない。

         共働きの家庭で育っていることもあり、

         働き続けるのは当たり前の姿だった気がします。

         

— その辺って、今、この歳になると忘れちゃうんですけど。当時はすごく周りを気にするというか、「みんなと同じに」っていう意識が働く年代だと思うんですよね。

池照:確かに忘れてる。そうかもしれないですね。 

         でも、マスターフーズっていう会社は、結婚したという理由で

         辞めるひとはいなかったし、周りからも言われないですよね。

         外国人の方も多くいらしたので、それは個人の選択というか。

         そういう感じだったのかもしれないですね。

         

— 仕事と家庭を両立してキャリアを積んで、次に行ったのがアディダス。その頃30代に入っていましたか?

池照:ちょうどそんな頃ですね。 

         

— これまで2社経験して、自分でも自信が付いてきた頃ですね?

池照:自信ね…。 

         アディダスは、日本法人を立ち上げて2年目だったんですよ。

         まだ、若い会社で。

         「これから制度も整備していきます」

         みたいな感じです。

         

— 自動車産業からアパレルって全然違いますよね?

池照:全然、違いましたよ。 

         おもしろい、おもしろい。

         特に当時のアディダスは2002年のW杯に向けて、

         採用を増やし、会社もスピードアップして。

         大きくしていこうという時でしたので。

         

— すごい違う世界に行きましたね。

池照:でも、もうアディダスに行くころには、

         それまである程度「しくみ」がすでにある企業で

         企業の成長状態に合わせて、

         どう「しくみ」を変化させていくべきかって

         勉強をさせていただいた気がしていました。

         

         でも、企業の成長状態に合わせてアディダスでは、

         これから日本法人を確立させていくという。

         ほぼゼロから1を、1から2とか5とかにしていく感じが

         ワクワクしました。

         敢えて違う業種ということもあり、

         挑戦の気持ちは確かにありました。

         

 

— で、アディダスは入ってみてどうでしたか?

池照:実は、アディダスは、わたし1年しかいなかったんですよ。

         入ってすぐに、ちょっとしてから、子供こどもに恵まれたので。

         

 

— えっ、そうだったんですか?

池照:はい、そこで最初の仕事が、人事制度を整えていくということ。

         将来に向けて育児支援制度を、整備するってことだったんです。

         育児休暇なんかも含めて、骨格が見えてきたという所で

         役員に説明に行って。

         その2日後くらいに、自分の妊娠が解ったんです。

         

 

— すごいタイミングですね。

池照:実はそれまでフォード時代から、

         ずーっと不妊治療に通っていたんですよ。

         フォードの時は、上司を含めて男性ばっかりだったので、

         周りには言わなかったんですけど。

         子どもに恵まれたら、

         「いったん仕事から離れて子供と向き合いたい」

         とも思っていましたが、なかなか恵まれず。

         もう無理かなと思った矢先で、びっくりしました。

         で、「仕事はやめよう」って同時に思いました。

         

— それは何か思うところがあっての決断ですか?

池照:その当時って、今に比べると、

         育児支援制度がきちんとある会社はまだそんなに多く無くて、

         時短制度もない状態でした。

         その中でわたしは、こどもが出来たら一旦自分の時間は

         全部こどもに注ぎたいっていう思いがずっとあったんです。

         だから、全然躊躇はなかったですね。

         

         「あっ、辞めよう」って。

         

         すぐに会社に「わたし子宝に恵まれたので会社を辞めます」って。

         上司は「なんで?なんで?」って。

         

— まぁ、ビックリしますよね。

池照:「えっ〜、制度作ったじゃん」みたいな。

         「昨日、プレゼンしたじゃん」みたいな。

         そんな辞めないでよって感じですよね。

         社長は当時、フランス人の方で、彼に言いに行ったら

         「Why?」ですよね。

         「フランスじゃ、2人産んでも3人産んでも続けてるよ〜、Why?」

         「君、制度も作ったじゃないか?」って。

         押し問答して、一週間後に「やっぱり辞めます」って決めて。

         そこから臨月になるまで働いたので、

         今でも、アディダスでお世話になった方にお会いしたりすると、

         「ああ、あのお腹の大きかった人ね」と、いつも言われます(笑)。

         

— 結構、大きな決断ですよね。

池照:はい。でも、わたし個人としては、間違っていないんです。

         ただ、わたしはその時に、

         人事課長としてはものすごい失態をしているんです。

         

— 制度を立ち上げて利用してもらうひとを増やしていく立場だったという意味で?

池照:そう。

         わたし自身もそう思っていた訳ですけど、

         周りの同僚に妊娠を告げると、

         「まぁ、普通辞めるよね、この忙しい環境じゃ」って。

         風土が作れていないんですよ。

         だって、「がんばんなよ」って言うことが気の毒になるくらい

         皆さん働いている訳だし、忙しいんです。

         「そうだよな、お母さんとして家に入った方がいいよな」って。

         

— ビジネスからみて、その制度を作っている立場のひとという位置付けからすると、「池照さん、辞めちゃうの?」って感じがあったかもしれないですね。

池照:まぁ、思いますよね。

         

— 知り過ぎていたから、両立無理って思ったんですね。でも、「頑張ればやれちゃう」っていうイメージもあるんですけど。

池照:どうなんだろう。

         ただ、まだその頃、外資系の小さなところ、

         例えば、フォード自動車も日本の中ではまだ人数が少ないですよね。

         周りにいる女性は、「独身でバリバリと働いて実績を出している」

         っていうのがマジョリティなんですよね。

         アディダスも、わたしがシニアになるくらいですから。

         子育て中の方がいたとしても派遣の方で。

         いわゆる総合職で、周りにサンプルがいなかったですね。

         だから、はっきり言うと、

         「子育てしながら、会社の中で、ずっと働き続けられる」

         っていうイメージが全然なかったです。

         小さな外資系はみんなそうかも知れませんね。

         サンプルがないのと、働き方がとにかく忙しいっていうので。

         

         

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3.27万人のための人事制度

3.27万人のための人事制度

— 会社を移ろうと思った、きっかけは何ですか?

池照:マスターフーズって、良くも悪くも

         プライベート・カンパニーなんですね。

         オーナーが中心にいて、

         大胆な決断をスピード感もって実行する。

         それが全世界レベルで。

         だからこそ、色々挑戦させてもらえる会社でもあった。

         

         それが、6年くらい経って

         「他の会社ってどうやって人事やっているんだろう」って、

         純粋に思い始めた時にお話をいただいたのが、

         フォード自動車でした。

         

         その当時で、全世界で27万人の従業員がいて、

         まだ「ビック3」って言われてた時代です。

         お話を聞きにいったのが、直属の上司となる方で、

         その後、フォードの日本法人の社長になった方だったんです。

         

         27万人の従業員を、

         ビジネスファンクション(機能)中心にマネジメントしていますが、

         その一方で人事等は、「横串を刺すような考え方」

         でコンセプト中心のマネージメントもしているという

         話をうかがい、とても興味をもちました。

         また、人事に関しては、担当するファンクションを見ると同時に、

         人事の専門テーマを、必ずどれか一つはテーマをもち、

         本社の関係者と議論をする機会がある、

         と言われたことにも興味がわいて。

         本当に純粋な興味から、

         「ぜひ、勉強したいな」って思ったんです。

         

— 「他社が気になってきた」のがきっかけだったんですね。

池照:そうですね。

         マスターフーズは比較的人材の(健康的な意味での)

         離職率もある会社で、

         上司や先輩達も自ら卒業して次のステップに進むような環境でした。

         私自身も、ある程度、「やりきったかな」って

         いうのがあったかもしれないですけど。

         

— 世界のフォードに行く決断。全く違う業界ですよね。

池照:巨大企業ですよね。

         けっこう色々なことが違って面白かったですよ。

         やっぱりあれだけの規模なので、アメリカ本社の人事っていうと、

         博士号持ったようなひとがたくさんいる訳ですよ。

         「大学で教鞭をとっています」みたいな方が、

         フォードの本社には山ほどいらっる。

         そういう方々が、

         27万人に行き渡らせるような仕組みを考えながら、

         人事をやっているんですよね。

         

— 仕事自体はどうだったんですか?やり方とか、採用も含めて。

池照:フォードに行って、一番びっくりしたのが、

         評価用のシートが枠しかないの。

         

— 枠ですか?

池照:本当に枠で、内容については

         現場の上司と部下で話合いの上、埋めていく形です。

         もちろん等級やバンドは管理されているんですけど、

         現場の上司と部下で話合いの上、埋めていくんです。

         「こんな緩やかでいいの」と感じたくらい違ってました。

         でも、27万人の、

         世界中に散らばっている多様な仕事をする人々をマネージするには、

         余り細かく区分けすること自体がナンセンスなんですよ。

         目標を決めて上司と話し合って、自分評価して

         上司と部門とで査定するって、枠だけがが置いてあって。

         

— やり方も自分たちで?

池照:ただ、コンセプトとガイドラインはあります。

         様々なケースに対応するために、

         人事ではできる限り現場の仕事を理解し、

         シミュレーションを尽くしますし。

         実際の運用は、現場に任されているという感じですね。

         

         最初は、そこに憤ったりして

         何度も上司や本社の人事のメンバーとぶつかったり

         質問を繰り返したりしました。

         相当生意気だったとは思いますが、

         周囲の方は話合いをつくし、逃げずに対応する。

         本当にプロフェッショナルな、

         素晴らしい方々に恵まれていたと思います。

         

— ここでの経験で大きかったものは、巨大組織の中でローカルの人事制度を組み立てる部分ですか?運用も含めて。

池照:そうですね。

         あと、自分の担当組織の人事全般を担当しながら、

         入社の時に約束のあった、人事の専門分野をもつ機会ですね。

         そのテーマが、わたしの場合は

         Compensation & Benefit (報酬企画)

         を担当させてもらいました。

         

— それは自分で選んだんですか?

池照:それは、日本にとって必要だったので。

         あと、プロジェクトとして報酬レベルの見直しを図る

         必要のあった会社からの打診ですね。

         そのプロジェクトでは、アジア全体の報酬を担当されている

         「Compensation & Benefitの先生」

         のような方もいらっしゃいました。

         その方が日本に来てフォード全体の人事と報酬の考え方等について

         レクチャーして下さったり、

         私が、オーストラリアや他国に行って同じような立場の仲間と

         それぞれの国の運用や課題を話あったりする機会を

         いただいていました。

         

— そういう師のようなひとに働きながら巡り会えるって、すごいことですよね。

池照:そうですよね。

         大企業ならではかもしれませんが、

         社内に各分野の研究者のような方がいらっしゃり、

         臆せず質問すれば、みな真摯に応えてくださる。

         まだ、自動車業界がとても元気だったこともあってか、

         今思えば報酬に限らず、その後に浸透する

         MBO(Management by Objective)やコンピテンシー等、

         評価や他様々なしくみやシステムに幅広く触れることができました。

         ダイバーシティとかも、その頃初めて知った言葉でした。

         

— ここ数年ですよね。一般的になってきたのは。

池照:そうですね。

         その頃の日本人にとっては、

         「ダイバーシティ」って言葉がメール配信されて来た時に

         「なんじゃそれ?」だったんですよ。

         ダイバーシティについては、世界にまたがる企業だからこそ、

         人材の幅広さ、また、自動車会社という職務の幅広さから

         繰り出される視点が本当に新鮮でした。

         

— フォードは何年くらいいたんですか?

池照:2年です。

         ちょうど担当していた金融部門がマツダと統合して、

         勤務地が大阪に移ることになってしまいました。

         新幹線通勤でという話もあったのですが、

         家族もいましたし「ちょっと、それはないな」と。

         それで、そのタイミングでお話をいただいていた

         アディダスジャパンに行くことにしました。

         

         

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2.「売上げ倍で人数そのまま」、それでも仕事を回す秘訣は?!

2.売上げ倍で人数そのまま、それでも仕事を回す秘訣は?!

— 実際スタートして、人事の仕事はどうでしたか?

池照:最初は、採用の仕事からスタートしました。

         しかも最初のチャレンジは、外国人対象の新卒採用でした。

         会社としても初めての試みで、何もかもが初めて。

         ゼロからのスタートを担当させてもらうことができて、

         学ぶことばかりで非常に楽しかったですね。

         

         採用というよりも、イベントを仕掛けて集客して、

         マスターフーズの良さを知ってもらって、

         一緒にはたらく仲間を見つけるという、

         マーケティングが強い会社の特性が出ているような

         ところもありましたし。

         

— 新卒の外国人採用っていうと、日本に留学で来ている方が対象ですか?

池照:そうです。そこがターゲットですね。

         もしくは、優秀な留学生が在籍する大学に直接アプローチを

         してだから、あまりルートもない。

         エージェントさんやジャパンタイムズなどのメディア媒体とかに、

         こちら側から仕掛けていく。

         「こういう外資系企業で外国人の採用したい」

         と直接アポととってお願いしたり。

         

         割と若いうちから、

         筆記試験や面接などのコンテンツを企画し、

         実際に採用活動で実践する経験も積みました。

         小論文の応募書類も、部門全員で徹夜で全部読んだりして。

         すごくいろんなことをやらせてもらったかな。

         

— それが20代ですね?

池照:20代の前半の頃ですね。

         そこからどんどん仕事が増えていきました。

         給与企画や社会保険、そして人事の基礎的な部分などです。

         外部の社会保険労務士の先生と協働して

         社会保険とか入退社の手続きとか、

         入社のオリエンテーションやコーディネーション、

         外国人社員のビザ関係や

         出入国の手続き等もやっていました。

         

— 人事の仕事が向いているかどうか考える間も無く、目の前にやることが沢山あってという感じですかね?

池照:そうですね。

         とにかくやることは、もう沢山ありました。

         その後、教育や日本人の新卒採用、

         そして中途採用も責任範囲に入りました。

  

         

— ちょうど、会社も大きくなる時期だったんですか?

池照:はい、そうなんです。

         売り上げを倍にし、社員数はそのままっていう時代でした。

         とにかく忙しかったです。

         でも、すごく勉強になったのは、

         人は増やせない中で外部のアウトソースを活用しながら

         生産性を上げていく経験です。

         外部リソースをどうやって取り込めば

         自分たちの仕事が簡素化できるか、常に考えていました。

         わたしが鍛えられたのは、自分でDecision-Makingする役割を

         いただけたことです。

         エラー&トライをさせてもらい続けたということでしょう。

  

         

— 実際に経験もしたし、やり取りの中で学ぶことができたということですね。

池照:そうですね。

         あと、わたしが非常に恵まれていたのと、

         じぶんが「そこは長けていたな」と思うのは、

         「外部のエキスパートの意見を必ず聞く」ということです。

         例えば、求人広告を出すのは、

         ここのエージェントの営業の方が相談先になるとか、

         社会保険のことだったら社労士の先生に相談するとか。

         教育だったら、教育会社の人たちと。

         それで、仲良くなっちゃうんです。

         

         社内の課題を相談できる信頼関係を作ることに重点を置くと、

         必要な時には、「しょうがないな〜、池照さんは」みたいな形で、

         助けていただいてました。

         意見やアドバイスをくださる方が、

         仕事をするなかで多くいらっしゃっいました。

         「社内外問わず」です。

         

— マスターフーズに出会って経験したことが大きいですよね。

池照:わたしにとっては大きいです。

         人事の仕事の基礎的なところと、

         ビジネスの全体感をつかむ経験をさせてもらったと思っています。

         

         

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1.人事への第一歩は「はたらく女性のアイコン」との出会いでした。

1.人事への第一歩は、「はたらく女性のアイコン」との出会いでした。

— 就職を意識したタイミングは、いつ頃でしたか?

池照:わたしは、アメリカで学校を終えて、帰国したのが7月。

         時はバブル後期だったので、周りの友達は女子大とかを卒業して、

         お寿司を食べに連れて行ってもらって、大手町のOLになっている

         ような時代、それを見て、わたしは帰国しているんですよ。

         だから、絶対、自分も日本に帰ってきたらお寿司を食べに

         連れて行ってもらい、ディズニーランドのチケットをもらって

         大手町のOLになるんだって思ってたんです。

        

— そんな人たち、いました?

池照:わたしの世代は、いたんですよ。

         まだ短大卒の方が就職率が高いと言われていた時代ですから。

         ただ、やりたいなと思っていたことは、

         ビジネスの世界には入りたいなと思っていました。

        

— ビジネスの世界ですか?

池照:要は、会社に勤めてみたいと。

          わたしは、両親ともに会社勤めをしていない環境で

          ビジネスの世界に憧れがあったんですね。

          それで、日本に帰ってきて就職活動しようと思ったんですが、

          就職活動ってやり方が分からない。

          仕方がないので、ジャパンタイムズの求人欄を見て

          片っ端から履歴書送ったんです。

          20社に送って、一次面接に呼んでくださったのが3社、

          2次面接までいったのがゼロでした。だから全滅なんですよ。

        

— それは新卒を採らないということで?

池照:そもそも、ジャパンタイムズに出している企業は、

         ほとんどが中途で即戦力になる人を探している訳ですよね。

         でも、仕組みが分からず、とりあえず履歴書出していったんですけど

         まあ、全滅なんですよ。 

         「あぁ、就職ってできないものなんだな」

         っていうのをすごく感じました。

        

         アメリカで勉強してきたのが、

         ”Teaching English as a second language(第二外国語教授法)”

         という資格を取ってきていたので、

         英会話学校は採用の可能性があるかと思っていました。

         そこで、英会話学校で就業経験してからビジネスの世界に入ろうと

         考えました。英会話学校をいくつか受けて、

         入れて頂いたのがECCだったんです。

        

— キャリアのスタートは英会話学校だったんですね。

池照:当時、ECCでは、自分の就業時間以外の時間には、

         ECCにある希望するコースを社員が半額で受けられるしくみが

         あったんです。「あっ、これはいいな」と思って。

         入社して1年の間に、秘書検定とかワープロ検定とか、

         要は日本でOLになるためのスキルに関係する資格のコースを

         受けまくりました。

        

— 1年って決めていたんですね。

池照:はい、きっかり1年と決めていました。

       そして、1年後に転職活動を始めて、マスターフーズに入社すること

       ができました。

       いくつかの企業からいただいたオファーは秘書業務だったのですが、

       マスターフーズだけが、人事部のアシスタントでした。

       当時は、「人事部ってなんだろう」って、全くわかりませんでした。

       でも、面接にいってみたら、自分の上司になる方が

      とても素敵な女性の方で

      「この方と一緒に仕事ができるなんて、なんて素敵なことだろう」

      と思い、何やるか分からないけど入っちゃいました。

      それがマスターフーズですね。

        

— その女性と仕事をすることになって、いかがでしたか?

池照:本当に素晴らしい方でした。

      実際にわたしの上司だった期間は1年くらいだったんですが、

      会社員としての基礎の部分を教えていただきました。

      その後、彼女、違う部署に移動したんですけど、

      ずっとお付き合いは続いていて、

      今でも、お会いしてお話させていただく機会があるんです。

        

— もう、すでにそこで憧れの存在に巡り合っているんですね。

池照:そうですね。

      「こんな風に働き続けて、こんな女性になりたいな」

      っていう理想像は、そこで出来たと思います。

      ちょうど、彼女がわたしより20歳上なんですよ。

      わたしにとっては「はたらく女性のアイコン」みたいな方です。

 

— 若い時期に、そういう方に逢うか逢わないかって大きいですね。

池照:今考えたら、そうですね。わたしは非常にラッキーだったと思います。

 

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池照佳代さんプロフィール

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池照佳代さんプロフィール

池照さんプロフィール

池照佳代(いけてる かよ)さん

有限会社アイズプラス代表

2006年(有)アイズプラスを設立。代表取締役
㈱gift 取締役(社外)
認定NPO法人キーパーソン21 理事
NPO法人インディペンデント・コントラクター協会 理事

ホームページはこちら
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